国際連盟脱退も、実は日本は「孤立」していなかった!?松岡洋右「堂々退場」の本当の理由とは (1/4ページ)

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国際連盟脱退も、実は日本は「孤立」していなかった!?松岡洋右「堂々退場」の本当の理由とは

なぜ日本は「除名」「経済制裁」を受けなかったのか?

戦前の日本史について「なぜ日本はあの戦争を避けられなかったのか」というテーマで調べていると、満州国の建国を国際連盟が認めなかった、という話が必ず出てきます。

関東軍が「暴走」して作ってしまった満州国。これが侵略と言えるかどうかが当時の国際連盟で議論され、その結果、連盟は満州国での中国の主権を認めて日本を非難する「非難勧告」を決議しました。

歴史の教科書では、この「非難勧告」を受けて頭に来た日本全権団が、席を立ち椅子を蹴って、「国際連盟から脱退する!」と宣言してその場を後にした……みたいなニュアンスのことが書かれています。

しかしそれが本当なら日本は国際連盟から脱退して、国際社会で孤立して、西欧諸国と対立していたはずです。それなのにその後、経済制裁も何も受けていません。この時本当は一体何があったのでしょうか? 日本と国際社会の関係は、悪化していなかったのでしょうか?

国際連盟総会の第1回会合は、1920年11月15日にジュネーブのSalle de la Réformation(改革の間)で開催されました(Wikipediaより)

戦前の日本は、戦後にイメージされるような、骨の髄まで軍国主義に染まった侵略国家などではありませんでした。政府も、中国で関東軍が「暴走」してなし崩しに満州国が建国されてしまったのを国際関係的に非常にまずいと考えていたのです。

で、日中関係を少しでも修復するために、当時の斎藤内閣が取った手段が「リットン調査団(国際連盟日支紛争調査委員会)の派遣」でした。

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