川村元気が語る「作り手としての終わり」を感じる言葉とは? (2/4ページ)
――その隼太郎の言葉には、この物語に通底している「信仰とは何であるか」の答えがあるように感じます。
川村:神の中に人を見ることができれば、人の中に神を見ることもできますよね。三知男の中には、事なかれという(笑)何も助けてくれない神がいるし、隼太郎の中にも神がいるし、響子が物語の最後に見せた行動の中にも神がいます。そういった、それぞれの登場人物の中に神的な存在がいるということは描けたように思いますね。
――隼太郎は幼い頃から宗教に振り回されて、その中で、自分で「神」とは何かを見定めるために自立するわけですよね。そこで醸成された考えはすごく大人だなと。
川村:ちゃんと「分からない」ということを自覚して、分からないなりに自分の答えを探すために動き回り、物事を知っていくということが大事だと思うんです。聖書の中にも「探しなさい。そうすれば、見つかる」という一節が出てきますしね。
ただ、確かに求めないと答えは出ないけれど、「答えはこれだ」と安易に決めてはいけなくて、絶えず疑い続けるということもセットだと思います。
答えが見つかると視界がクリアになるけれど、実はそれって危険なことだと思うんです。真っ青な空よりも、天気雨の方が僕は美しいと思いますし、色んなものが一緒くたになってそこにあるという複雑性を肯定することが大事なのかなと。
この小説の表紙の写真は川内倫子さんが撮影されたものですが、雷雲に隠された太陽を感じる写真です。この複雑な空模様のような信仰の方が、僕は美しいと思うし、読者の方々もそう感じてくれるのではないかと信じて書いています。
――この物語で描かれている「不信」や「信じること」の正体は、言葉にしたくないものだと思います。でも、それを知ることで得られることも大きいのかなと。
川村:この小説を読むことで、読者自身が見て見ぬふりをしてきたものだとか、呼び起こしたくなかった感情が引きずり出される可能性もあるかもしれないけれど、そういう小説にしたかったというところはありました。