川村元気が語る「作り手としての終わり」を感じる言葉とは? (1/4ページ)

新刊JP

『神曲』を執筆した川村元気さん
『神曲』を執筆した川村元気さん

小鳥店を営む檀野家の穏やかな日常は、通り魔事件という悲劇によって終わりを告げた。
息子を殺され、悲しみに暮れる檀野家のもとに、不思議な合唱隊が訪れる。その歌声に次第に救われていく妻と娘。しかし、それは新興宗教だった。

宗教にのめり込んでいく妻・響子を、なんとか救い出そうとする夫・三知男。響子とともに合唱の練習に参加する娘・花音。物語が進むにつれて明かされていく家族の秘密。そして、3人を通して描かれる「神」の正体とは。

『世界から猫が消えたなら』『四月になれば彼女は』『百花』などのベストセラーを発表してきた川村元気さんによる新作小説『神曲』(新潮社刊)は、「目に見えないけれど、そこにあるもの」を信じる気持ちを、「不信」を通して描ききる意欲作だ。

今回、新刊JP編集部は川村元気さんにインタビューを行い、『神曲』に込めた想いについてお話をうかがった。後編では、物語のカギを握る登場人物について、そして「知ろうとすること」の意義について語っていただいた。

(記事・聞き手/金井元貴)

■『神曲』という小説は「音楽」である

――前編では『神曲』の主人公である檀野一家についてお聞きしましたが、もう一人、物語に大きな影響を及ぼす人物がいます。第二篇から登場する入江隼太郎です。この隼太郎が持っている「神」に対する視点は、川村さん自身の視点ではないかと感じました。

川村:まさにおっしゃる通りで、隼太郎は僕そのものです。毎回、自分自身を投影した人物をこっそり脇役で出すのですが(笑)。

――隼太郎は主役級といいますか、かなりキーになる人物ですよね。

川村:自分の主張がかなりクリアに出ているキャラクターですね。隼太郎が花音に言った「君がおかあさんを信じる気持ちと、おかあさんが信じている神様を信じられない気持ちは両立すると思う。人は時に、複雑な信仰を持ちうるんじゃないかな」という言葉は、まさにかつての自分が言いたかったことでしたから。

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