銭湯は吉原顔負けの遊郭だった!?ペリーも唖然、江戸時代の風呂事情 (5/6ページ)
ところが吉原はその威光を取り戻すどころか、これを境に衰退の一途を辿るのですが、これはまた別の折に触れましょう。
こうして湯女風呂は幕府によって廃止に追いやられましたが、混浴文化自体が廃れることはなく、明治期まで続いていきます。
明治期までやめられなかった混浴時は幕末。
欧米との交流が盛んになると、国内に流布する価値観のみならず、対外的な見え方を気にする必要に迫られました。そしてその筆頭に上がったのが、混浴という銭湯文化です。
「ペリー提督日本遠征記」第一巻より
そもそも大衆浴場という文化が無い欧米人にとって、男女混浴など到底信じがたい光景でした。明治政府は、このままでは日本人が野蛮に思われかねないと危惧し、混浴銭湯の取り締まりを強化します。
銭湯が完全に男女別になったのは、明治期も中頃のことです。
おわりに形は違えど、今なお人々に憩いをもたらす銭湯には、意外な歴史がありました。