銭湯は吉原顔負けの遊郭だった!?ペリーも唖然、江戸時代の風呂事情 (3/6ページ)

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また客からも非難轟々であったため、銭湯ものらりくらりと素知らぬふりで通すこともあったそうです。中には、入り口だけ男女で分け、中に入ると混浴という銭湯もあり、規制を掻い潜ろうとする工夫が伺えます。

どんだけ混浴したいの!何度禁止しても復活し続けた江戸時代の混浴の歴史

江戸の人々は頑なに、混浴文化を死守しようとしたのでした。

湯女による吉原への営業妨害

湯女を擁する銭湯は、その歴史の中で何度も吉原と全面対決しています。実際のサービス内容はどうであれ、建前上の湯女の仕事は、銭湯に来た男性の体を洗うことのはずです。

しかし実際は、男性に性的サービスを提供する遊女でした。

江戸時代の遊郭といえば、幕府公認の吉原がすでに存在します。性風俗は、幕府の管理下にあるが故に、最低限のモラルを遵守できる側面もありました。

それに対して湯女風呂は幕府の許可を受けない、非正規の性風俗サービスです。

しかも湯女ならば、安価にサービスを受けることができます。もし吉原で遊女と遊ぼうと思えば、現在のお金で数10万円は必要です。

遊女と遊ぶなど、一般庶民にとっては夢のまた夢。銭湯なら安く女性を買えるとなれば、銭湯に客が流れ込むのもうなづけます。

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