縄文時代はなんと一万年以上もあった!(6)後期・ストーンサークルの巨大祭祀共同墓地への変容 (4/4ページ)
後期以降、集団墓が環状列石(ストーンサークル)という視覚的効果を伴った、巨大な祭祀共同墓地として広まっていった背景には、各集落に大規模な土木工事や祭祀を運営する「指導力」または「威信」というような存在があったと思われます。
この頃、縄文時代の社会階層化が生じる構造変化があったのではないかという説があるのは注目すべき点ではないでしょうか。
敷石住居址
梨の木平敷石住居跡(遺構露出保護展示館内)ウィキペディアコモンズより
またこの頃「敷石住居址」という床面に平石を敷いた住居址状の遺構が、関東地方西部から福島県、中部地方東部にまでみられるようになります。
直径5メートル前後の円形・方形に平らな川原石、平石を敷き詰め、中央に石囲いや炉をもつものが一般的です。
建物周辺部のみに石を巡らしたものや、建物の一部が張り出して、把手のある柄鏡形のもの、埋甕や張り出し部分のみ敷石のものなどさまざまなものがあります。
因みに“埋甕”とは土器の中に遺体などを収容して住居跡内外に埋めるという、縄文時代の風習です。
敷石住居址からは埋設土器のほかに、石棒、凹石、石皿、石斧、敲石が出土することが多く、炉の中から焼けた獣骨が出ることも珍しくありません。
柱穴、炉、埋甕があるということは一般住居である可能性が強いのですが、敷石の祭壇や呪術的遺物のが存在することもあり、一般住居中の祭祀場の性格が強いとも言えます。
縄文時代後期頃からの環境悪化に対して祖霊崇拝、狩猟儀礼などの祈りの場が必要になり作られたものとも考えられています。
縄文時代はなんと一万年以上もあった!(7・最終回)縄文時代・晩期に続きます。
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