残忍で勇猛!戦国時代の武将・宇喜多直家の戦歴と荒々しすぎる所業がすさまじい (2/4ページ)
場所は備前国邑久郡豊原荘(現・岡山県邑久郡邑久町)の砥石城です。しかし1534年に、祖父の宇喜多能家(よしいえ)が隣地の高取山城主・島村貫阿弥に攻められ自害すると、父の興家とともに城を脱出して放浪生活を送ることになります。
父の興家も、逃げのびて備前福岡の豪商・阿部善定に庇護されたものの、その後1536年かあるいは1540年に病死・あるいは自害とされる死を遂げています。しかもそれまでは牛飼いのような生活をしていたとか。直家という人物は、幼少から十代の頃にかけてこのような境遇にあったのでした。
たくさん殺して大活躍そんな直家が頼ったのは、当時播磨国と備前国東部に権力を持っていた天神山城主・浦上(うらがみ)氏でした。当主の浦上宗景に認められた彼は、その配下として備前国内を転戦し、若くして乙子城を任されることになります。
城の主となった直家は、ここから「梟雄」としての能力を発揮し始めます。
まず手始めに岳父・中山信正を謀殺して居城と領地を奪い、祖父を討った仇敵である島村盛実を謀殺して、祖父の旧領地である砥石城を奪還することで領土を伸長。娘婿の浦上宗辰や後藤勝基、姉婿の谷川久隆なども殺害しました。
これだけでも眩暈がするようですが、彼の「活躍」はとどまるところを知りません。
1561年には、砥石城に引き続き信正の沼城も陥落。さらに、以前から浦上氏と敵対関係にあった松田氏配下の武将・穝所職経を謀殺します。ちなみに職経の妻は直家の妹でもあり、つまり職経は直家の義弟にあたる人物でした。
1566年には、敵対していた備中国(現在の岡山県)の大名・三村家親を短筒の火縄銃で銃撃して暗殺します。