残忍で勇猛!戦国時代の武将・宇喜多直家の戦歴と荒々しすぎる所業がすさまじい (3/4ページ)
銃による有力者の暗殺は、日本史上でこれが最初と言われています。
まだ続きます。1568年には、備前国の金川城主・松田元輝の長男である松田元賢の軍事行動に不満を抱き、金川城を包囲して元輝・元賢親子を死に追いやりました。
ちなみに直家の妹は備中に嫁いでおり、直家は、妹の夫である伊賀久隆を唆して寝返らせています。そして金川攻めで松田親子を滅ぼすために利用しているのですが、この久隆も後に急死しており、直家による毒殺とも言われています。
直家はさらに同時期、備前国石山城主であり家臣でもあった金光宗高に「内通者だ」と言いがかりをつけて切腹させています。こうして直家は、備前国南西部をほぼ支配下に入れることになりました。
恩人に仇なす男そして直家は、西から東に向かって勢力を伸ばす毛利氏と手を組み、織田信長と組んだ浦上宗景に反旗を翻します。
彼は、浦上氏に不満を抱いていた家臣たちを次々に寝返らせ、浦上宗景を播磨国に追放することに成功。ついに備前国を支配する有力大名として名を上げることになったのです。
そんな直家でしたが、織田信長の命で中国地方進攻に乗り出した羽柴秀吉(豊臣秀吉)にはあっさり服従し、今まで世話になっていた毛利氏に対する「手のひら返し」をやってのけています。
毛利氏は当然激怒し、備前国に向かって進撃を開始します。秀吉の配下となった直家は備中国高松城で毛利軍と対峙し、その後も美作・備前各地を転戦して毛利氏と合戦を繰り返しました。そして1581年2月14日、戦のさなかに岡山城で病死したのですが、その折、子の秀家には織田への忠誠を誓うように命じています。