品川区西五反田の行元寺前の石碑に記された敵討ちを是とする隠語 (3/4ページ)
そして敵討ちそのものが、文学や浄瑠璃・歌舞伎などの演劇のみならず、今日のタブロイド紙に当たる瓦版(かわらばん)、そして瞽女(ごぜ)などの、全国を行脚する芸能者による歌物語の題材に取り上げられた。その結果、個人的な恨みを晴らすエピソードの爽快感のみならず、特に元禄15(1702)年12月14日(新暦では1703年1月30日)の赤穂浪士の討ち入り事件は、権力者の理不尽な振る舞いに対して、常々鬱憤を抱いていた、正義感に満ち、「粋」と「張り」を重要視する「江戸っ子」のみならず、日本全国の庶民層に熱狂的な人気を博したためだ。
しかしそうは言っても、武士以外の農・工・商人が行う敵討ちは、国内に騒擾をもたらす危険性があると、幕府側の懸念があったことから、必ずしも「美徳」として讃えられていたわけではなかった。それゆえ、石碑に当初はお経のみ。そして裏面の「隠語」にしても、公に「知られてはならない」ことであったことから、機知と諧謔精神にあふれた南畝が文を考案するに当たって、直接的な表現を避けるため、「隠語」で記したと考えられている。
■敵討ちの是非
昭和38(1963)年10月18日の福岡県京都(みやこ)郡苅田町(かんだまち)での強盗殺人事件を皮切りに、78日間、香川〜広島〜静岡〜東京〜千葉〜福島〜北海道と78日間、日本全国を縦断しながら、強盗殺人や詐欺を繰り返し、最終的に熊本で逮捕された後、昭和45(1970)年12月11日に福岡拘置所で死刑に処せられた西口彰(1925〜1970)をモデルにした佐木隆三(1937〜2015)のノンフィクション小説『復讐するは我にあり』(1975年)のタイトルは、『新約聖書』の「ロマ書」12章19節の「愛する者よ、自ら復讐するな、ただ神の怒(いかり)に任せまつれ。録(しる)して『主いひ給う。復讐するは我にあり、我これを報いん』とあり」から取られたものである。つまり、復讐は神がすることであって、信徒は自ら手を下すのではなく、神の怒りの鉄槌を信頼し、全てを任せよと諭した言葉である。
この言葉のように、自分の心にたぎる怒りを鎮め、神様なり、「因果応報」的な運命の成り行きを期待するべきなのか。