激しすぎる!室町時代、どんなセクハラも倍返しで撃退した尼僧・慧春尼の生き方 (4/5ページ)

Japaaan

「それでも私を求めるなら、どうぞ好きにするがいい」

慧春尼のメッセージに恐れをなしたその僧は、たちまち脱走してしまったということです。

これらの奇行は、女性を性的欲望の対象にすることへの反発とも見られ、慧春尼は日本におけるフェミニストの先駆けとも言えるでしょうか。

エピローグ・燃え盛る炎の中で……

さて、そんな慧春尼は最期も激しいもので、応永15年(1408年)5月25日、最乗寺の山門前に柴棚を組み、その中へ入って自ら火をつけました。

要するにセルフ火炙りですが、これは単なる焼身自殺ではなく火定(かじょう。火定入滅)と言って、自らを火に投じることで自分自身の煩悩を丸ごと焼き尽くす儀式で、いわば修行のフィナーレとも言えるでしょう。

別にすべての修行僧がやる(やらねばならない)ものではなく、生きて人々を救済する道もあるのですが、禅を突き詰める慧春尼らしい最期と言えます。

「おーい、熱くないかー?」

周囲が慌てふためく中、慧明は(既に慧春尼が覚悟を固めているなら、あえてそれを邪魔すまいと)のんきに尋ねたところ、

「冷熱は生道人の知るところにあらず」
※『曹洞宗人名辞典』より

【意訳】炎が冷たいか熱いかなんて、人間である私が知っていることではありません。

炎が熱いかどうかは炎に聞いて下さい。

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