7歳で孤児に…父を求め各地を放浪。鎌倉時代に活躍した白拍子・微妙の生涯 (2/4ページ)

Japaaan

微妙。菊池容斎『前賢故実』より

果たして精進を重ねた微妙は達人の域に達したらしく、微妙の芸名で呼ばれるようになりました。

現代で「微妙(びみょ~)」と聞くと、何となく「良いとも悪いともハッキリ言えない」どっちかと言えば「悪いと言いたいが諸事情により言えない」といったネガティブなニュアンスが連想されます。

しかし微妙とは本来、仏教用語で「みみょう」すなわち「言葉では言い表せない不思議な奥深さ、素晴らしさ」を表わすもの。現代なら「絶妙」に近いでしょうか。

それほどまでに素晴らしい腕前ならば……と建仁2年(1202年)3月。時の将軍・源頼家(みなもとの よりいえ)に召し出され、その舞を披露しました。

すっかり感動した頼家が「望みのままに褒美をとらせよう」と声をかけたところ、微妙はこれまでの生い立ちと旅の目的を伝えます。

話しを聞いた一同は涙を流して微妙の親孝行ぶりを賞賛、頼家は早急に奥州へ使者を遣わしました。

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