バカ者!父親から枕を投げつけられた平安貴族・大中臣能宣、いったい何をやらかした? (2/4ページ)
梨壺とは御所の北東にある女御(にょうご。身分の高い女官)らの住居で、梨の木が植えられていたことがネーミングの由来です。
能宣のほかに紀時文(きの ときぶみ)、清原元輔(きよはらの もとすけ)、坂上望城(さかのうえの もちき)、源順(みなもとの したごう)がおり、それぞれ切磋琢磨していたことでしょう。
ほかにも『拾遺和歌集』など勅撰和歌集に多くの歌が採用されるなど、後世「三十六歌仙」の一人に名を連ねます。
天延元年(973年)には父と同じく神宮の祭主となり、寛和2年(986年)に正四位下に叙位されました。
そして正暦2年(991年)8月、71歳の生涯に幕を下ろしたということです。
バカ者!父親から枕を投げつけられるとまぁそんな和歌界のエリートだった能宣でしたが、ある年明けのこと。
敦実親王(あつみしんのう。第59代・宇多天皇の皇子)が開いた子日(ねのひ)の祝いで、能宣はこんな歌を詠みました。
千歳(ちとせ)まで 限れる松も 今日よりは
君にひかれて 萬代(よろづよ)や経む【意訳】松の樹は千年の寿命と言いますが、親王殿下の徳にあやかって一万年は生きることでしょう。