日本もアメリカ本土を攻撃していた…知られざる太平洋戦争時の「爆撃合戦」 (3/5ページ)
彼は作戦通りに焼夷弾をブルッキングス近郊の森林に投下するなどし、伊25に帰還しました。
この攻撃も、軍事拠点や民間人を狙ったものではありませんでした。やはり「脅し」「揺さぶり」がメインで、アメリカの士気の低下が目的だったとされています。また、これに先立つ4月にはアメリカによる日本への空襲が実施されており、これに対する報復としての意味合いもありました。
もっとも、森林を焼くだけといういまいちパッとしない内容だった上に、当時は雨だったこともありすぐ鎮火しています。世界史上唯一のアメリカ本土空爆という出来事なのに、ほとんど取り上げられることがないのは、こうした地味さゆえでもあるのでしょう。
さらに9月27日には同様の攻撃を成功させていますが、なぜかこの時の被害などについてはあまり情報がありません。
ちなみに興味深い後日談があります。
この空襲を行ったパイロットの藤田曹長は、戦後にアメリカから招待されました。彼は、アメリカ本土に降り立ったら襲われて殺されるのではないかと、いざとなったら自害する覚悟だったといいます。
しかし意外なことに、いざ訪米してみたら歓声とともに出迎えられ、「よくぞ世界史上唯一のアメリカ本土への空襲をやってのけた」と賛美され、その後も日米親善交流の役割を果たすことになりました。
最期の爆撃「風船爆弾」もともとこの戦争では、日米双方ともに、相手国に「上陸」されることに神経を尖らせていました。本土爆撃をし合う「爆撃合戦」の素地は最初からあったのです。
米国民も「日本軍が上陸してくるのではないか」とピリピリしていたため、政府は9月に受けた攻撃については内緒にしていたといいます。もっともその後、マスコミに知られて報道されていますが。