知れば時代劇がもっと楽しく!江戸時代の処罰「改易」「減封」「転封」の意味や大名の実例を詳しく解説 (2/5ページ)
関ヶ原の戦いで敗れた宇喜多秀家が誰よりも長生きできたのは、島流しのお陰?
また、同じく西軍に味方した立花宗茂や丹羽長重のように、一度は改易されたもののその後大名に復帰できた例もあります。
また、有馬晴信は改易処分を受けて死罪となりますが、子の直純が家督を継ぎ、有馬家自体の存続は許されたという例もあります。
ただ有馬家の場合は、直純が徳川家康の娘婿で、なおかつ秀忠のお気に入りだったためとも言われています。このような例はごく少数で、大多数の大名は一度改易処分を受けると復活も許されませんでした。
「戦後処理」「反乱分子の排除」としての改易処分大名の改易処分が最初に行われたのは、関ヶ原の合戦のいわば「戦後処理」の時です。単純化して言えば、勝者である徳川家康が、敵方の西軍に味方した大名たちを改易処分し、自分に味方した東軍大名たちに、褒美として領地を与えたのです。
