知れば時代劇がもっと楽しく!江戸時代の処罰「改易」「減封」「転封」の意味や大名の実例を詳しく解説 (4/5ページ)

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広島城

このケースは、幕府が正則の力を恐れて、わざと許可を出すのを遅らせて罠にかけたともいわれています。

ルールの調整、そして「減封」「転封」

こうして多くの大名が改易処分となり、幕府の権力は絶対的なものになっていきます。

一方、改易によって職を失い、生活に窮した浪人たちが大量に発生し、徐々に政情不安が高まっていきました。そして1651(慶安4)年に発生したのが由井正雪の乱です。

これは、軍学者の由井正雪が、幕府に対して不平不満をもつ浪人たちを集めて倒幕計画を立てたものです。

この陰謀は事前に発覚し未遂に終わりますが、これを受けて幕府も「やりすぎた」と、事の重大さに気付きました。

そこでこれまでの方針を改めて、末期養子を条件付きで認めるなど柔軟な対応を取るようになったのです。江戸時代中期以降になると、大名の改易件数は減っていきました。

改易のほか、大名へ下された罰則には「減封(げんぽう)」「転封(てんぽう)」などがあります。

減封は、領地などの一部を削減する処分で、改易よりは軽い処罰です。

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