知れば時代劇がもっと楽しく!江戸時代の処罰「改易」「減封」「転封」の意味や大名の実例を詳しく解説 (5/5ページ)
これの代表としては、関ケ原の合戦後の上杉景勝や毛利輝元などが挙げられます。
また、転封はその大名の領地を別の場所に移すことを指します。もともとは、江戸時代初期に外様大名を江戸から離れた位置に移動させたり、反対に徳川家に近しい親藩・譜代大名を江戸近辺に移動させる目的で実施されたもので、転封は必ずしも処罰ではありませんでした。
実際、関ヶ原合戦で徳川方についた外様大名たちは領地を加増された上で「転封」となっています。例えば蒲生秀行は42万石の加増で会津へ、池田輝政は36万8千石の加増で姫路へ転封されました。
徳川幕府は、このように改易・減封・転封などのルールを駆使して、敵対しそうな大名の力を削ぎ、さらに領地の分配をうまく行うことによって統治の基盤を固めました。これはまさに「完成された封建制度」と言えるものです。
こうして徳川幕府は、応仁の乱の時代からずっと続いてきた、血で血を洗う乱世にケリをつけました。このような形の、いわば「戦後処理」をきっちり行うことで、これから200年続くことになる天下泰平の世を作り上げていったのです。
参考資料
歴史伝 日本史用語集日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan