源頼朝の先祖と死闘を演じた藤原経清(奥州藤原氏祖)の壮絶な生涯【その1】 (3/5ページ)
〈写真:T.TAKANO〉
安倍氏が鬼切部の戦いで国司軍を破る
鬼切部の戦いは、この鬼切部城周辺で行われた。(写真:T.TAKANO)
理由はともあれ、こうした安倍頼良の動きは、朝廷としては見逃すことはできませんでした。貢租を怠った懲罰として、1051(永承6)年に陸奥守藤原登任(のりとう)が、秋田掾介平重成の援軍を得て、1000名の兵で頼良を攻める「鬼切部の戦い」が起きます。
安倍頼良は本隊を率いて国府軍と激突します。そこに頼良の子貞任・宗任が率いた別動隊が山沿いから奇襲をかけ、朝廷軍を一蹴しました。敗れた登任は多賀城に逃げ帰りますが、陸奥守を解任されてしまいました。これに危機感を覚えた朝廷は、武勇の誉れ高い河内源氏の御曹司・源頼義を陸奥守に任じたのです。
頼義は、「鎌倉殿」こと源頼朝の祖先にあたります。その系図を簡単に記してみましょう。
①源経基(清和天皇孫)―②満仲―③頼信(河内源氏祖)―④頼義―⑤義家―⑥義親―⑦為義―⑧義朝―⑨頼朝(鎌倉幕府初代将軍)
頼義は、都から多数の郎党を率いて多賀城に着任しました。彼らは、平忠常の乱などを戦ってきた歴戦の武士たちです。