源頼朝の先祖と死闘を演じた藤原経清(奥州藤原氏祖)の壮絶な生涯【その1】 (4/5ページ)
しかし、頼義が戦力として最も期待していたのは、在庁官人で陸奥国亘理郡を領する藤原経清と陸奥国伊具郡郡司の平永衛(ながひら)でした。
二人は、藤原氏・平氏という中央貴族の血筋でありながら、陸奥国で勢力を拡大していました。そして、ともに安倍頼良の娘を妻にして安倍氏と婚姻関係を結んでいたのです。
経清と永衛が頼義に従属すれば、安倍氏は内部分裂という危機をむかえることになります。しかし、「鬼切部の戦い」の際、二人は国司軍から離脱し、頼良の味方をしていたのです。
安倍頼良が恭順、陸奥に平穏が戻る
若年の頃から弓の名人として名を馳せた源頼義。摂関家に武者として使え、相模守・陸奥守などを歴任した。(写真:Wikipedia)
源頼義が陸奥に着任すると、安倍頼良は突然、敵対行動を中止します。頼良は「よりよし」の名が国司と同じでは畏れ多いと「頼時」に改めるなど、平身低頭で恭順の意を表しました。
朝廷は、国母・上東門院(藤原彰子)の病気平癒による恩赦などで安倍頼時を許しました。この時、藤原経清と平永衛も許されて、在庁官人に復帰したと考えられています。
しかし、なぜやすやすと朝廷が三人を許したのでしょうか。当時、国司は受領と呼ばれ、下級貴族にとってはとても魅力的な役職でした。