「鎌倉殿の13人」寄せ集め武士団が大集合で「いざ、鎌倉」第8回放送の予習 (3/7ページ)
「重長らは源家を射奉る=敵対したといえども、彼らの力を得ずして天下草創の大業は成し難く存じます。大義の前には小さな怨みを残さぬよう、一族には言い聞かせおりますゆえ、どうか彼らを受け入られませ」
……重長等者。雖奉射源家。不被抽賞有勢之輩者。縡難成歟。存忠直者更不可貽憤之旨。兼以被仰含于三浦一黨……
※『吾妻鏡』治承4年(1180年)小10月4日条より
大義の前には怨みを呑んで力を合わせる……素晴らしい忠義の心映えに感激した頼朝は、それに応えるべく重忠に鎌倉入りの先陣を申しつけたのでした。
このくだりは『吾妻鏡』ファンの中でも愛する者が多いことと思いますが、本編ではどのように描かれるのでしょうか。
一、亀谷に御所を建てようとすること(前略)全成の助言もあって、頼朝は鎌倉の大倉に大きくて雅な御所(大倉御所)の建造を決める。頼朝の父・義朝の館跡に御堂を建て、長年にわたって菩提を弔ってきた岡崎義実からは御所を亀谷に建ててほしいと頼まれていたが、政をする要の場所が御所と捉えていた頼朝は、亀谷では手狭だと感じていた。なにより頼朝は、御所の建造を、豪族たちの言いなりにはならないことを示すいい機会だと考えていたのだ。
しかし、御所の件で岡崎義実は落胆し、上総広常は待遇に不満をみせ、和田義盛は畠山重忠の一件を根に持つなど、頼朝と御家人たちはうまく噛みあっていなかった。