「鎌倉殿の13人」寄せ集め武士団が大集合で「いざ、鎌倉」第8回放送の予習

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「鎌倉殿の13人」寄せ集め武士団が大集合で「いざ、鎌倉」第8回放送の予習

「これで平家も終わりだぞ!」

そう豪語する坂東随一の強豪・上総介広常(演:佐藤浩市)が加勢したことで勢いづいた源頼朝(演:大泉洋)たち。

これをキッカケとして、坂東各地の武士団が続々と集結。その中にはかつて敵対していた畠山重忠(演:中川大志)や梶原景時(演:中村獅童)の姿もありました。

もはや東国に敵はない……以前に石橋山の合戦で頼朝たちを蹴散らした大庭景親(演:國村隼)や伊東祐親(演:浅野和之)らも、打つ手なしの様子。

「いざ、鎌倉!」快進撃を続ける頼朝の武士団

しかし急激に膨張した頼朝の武士団はいかんせん寄せ集めで、内部のゴタゴタや頼朝に対する不満などが渦巻いています。

何とか坂東武者たちをまとめ上げるべく、北条義時(演:小栗旬)は今日も奔走するのでした……。

という第8回「いざ、鎌倉」。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」もますます面白くなって来ましたね。

今回はそんな御家人たちのエピソードをいくつか予習したいと思います。

一、畠山重忠帰参のこと

第1回「大いなる小競り合い」ではさっそく伊豆の北条館に現れ、頼朝の挙兵を加勢を約束していた畠山重忠。しかし父が京都にいたことなどから心ならずも大庭景親に与することに。

鞭声颯爽、後に「鎌倉武士の鑑」と称賛された畠山重忠の像。Wikipediaより(画像:Koda6029氏)

三浦義澄(演:佐藤B作)・三浦義村(演:山本耕史)らとは戦わない約定を取り交わしたものの、和田義盛(演:横田栄司)の暴走によって戦闘に発展。

ついには重忠にとっても祖父に当たる長老・三浦大介義明(みうらの おおすけよしあき)を喪ってしまうのでした。

……そんな重忠が治承4年(1180年)10月4日、鎌倉を目指す頼朝の元へやって来ます。一族の江戸太郎重長(えどの たろうしげなが)や河越太郎重頼(かわごえの たろうしげより)も一緒です。

三浦一族にとって義明の仇である重忠を受け入れるべきか否か……頼朝は三浦を代表する義澄に尋ねます。

「新介(義澄)よ。畠山の帰参につき、いかがする」

和田義盛などは絶対許さぬなどと息巻いているようですが、義澄の考えは違いました。

「重長らは源家を射奉る=敵対したといえども、彼らの力を得ずして天下草創の大業は成し難く存じます。大義の前には小さな怨みを残さぬよう、一族には言い聞かせおりますゆえ、どうか彼らを受け入られませ」

三浦義澄。荒川源兵衞ら『本朝百人武将傳』より

……重長等者。雖奉射源家。不被抽賞有勢之輩者。縡難成歟。存忠直者更不可貽憤之旨。兼以被仰含于三浦一黨……

※『吾妻鏡』治承4年(1180年)小10月4日条より

大義の前には怨みを呑んで力を合わせる……素晴らしい忠義の心映えに感激した頼朝は、それに応えるべく重忠に鎌倉入りの先陣を申しつけたのでした。

このくだりは『吾妻鏡』ファンの中でも愛する者が多いことと思いますが、本編ではどのように描かれるのでしょうか。

一、亀谷に御所を建てようとすること

(前略)全成の助言もあって、頼朝は鎌倉の大倉に大きくて雅な御所(大倉御所)の建造を決める。頼朝の父・義朝の館跡に御堂を建て、長年にわたって菩提を弔ってきた岡崎義実からは御所を亀谷に建ててほしいと頼まれていたが、政をする要の場所が御所と捉えていた頼朝は、亀谷では手狭だと感じていた。なにより頼朝は、御所の建造を、豪族たちの言いなりにはならないことを示すいい機会だと考えていたのだ。
しかし、御所の件で岡崎義実は落胆し、上総広常は待遇に不満をみせ、和田義盛は畠山重忠の一件を根に持つなど、頼朝と御家人たちはうまく噛みあっていなかった。

※「鎌倉殿の13人」第8回あらすじより

義朝の館跡に建立された寿福寺(鎌倉五山の第三位)。筆者撮影

大河ドラマでは「岡崎義実(演:たかお鷹)が亀谷(かめがやつ)に御所を建てて欲しがっているけど、頼朝はこれを突っぱねる」という筋書きみたいですが、これは本当でしょうか。

……次監臨故左典厩 義朝 之龜谷御舊跡給。即點當所。可被建御亭之由。雖有其沙汰。地形非廣。又岡崎平四郎義實爲奉訪彼没後。建一梵宇。仍被停其儀云々。

※『吾妻鏡』治承4年(1180年)10月6日条より

【意訳】(頼朝は、元八幡に参拝してから)次に亡き父の館跡を視察、ここに御所を建てようと決定します。しかし山間のため土地が狭く、また岡崎平四郎義実が義朝の菩提を弔う御堂を建てていました。そこで(静かな場所で父の菩提を弔いたい思いを義実と同じくした)頼朝は、御所の建設を取りやめにします。

寿福寺の由緒書き。頼朝の残念そうな顔が目に浮かぶ。

史実ではむしろ頼朝の方が亀谷御所(案)に乗り気だったのを、諸事情により諦めたようです。頼朝と御家人たちとの対立を演出するためのアレンジですが、その辺りを汲んでいただけると嬉しいです。

それにしても、亡き父の館跡に御所を開きたいという思いは、生前からよほど慕っていたのでしょうか。

一、梶原景時帰参のこと

石橋山の合戦に敗れ、洞窟に隠れていた絶体絶命の頼朝を見逃した梶原景時。大庭景親を見限り、頼朝の元へ馳せ参じるのですが、意外にもその時期は景親が斬られてからしばらくの後。

隠れる頼朝たちを見逃した梶原景時(中央)。歌川国芳筆

治承五年正月大十一日戊午。梶原平三景時依仰初參御前。去年窮冬之比。實平相具所參也。雖不携文筆功言語之士也。専相叶賢慮云々。

※『吾妻鏡』治承5年(1181年)大1月11日条

【意訳】梶原平三景時(かじわらの へいざかげとき)が頼朝の御前へ参上しました。昨年の12月に土肥次郎実平(演:阿南健治)が保護していた者です。漢文(当時の公文書)には通じていませんが、言語表現が巧みなので佐殿のお役に立てるでしょう……などと言ったとか。

※当時、朝廷では改元して治承から養和(ようわ)に改元していましたが、頼朝政権では治承の元号を使い続けていました。

大庭景親が斬られたのが治承4年(1180年)10月26日。景時が土肥実平の仲立ちを求めて保護されたのが、それから1ヶ月以上が経った12月(窮冬)。

頼朝と一緒に隠れる懐島平太景義(大場平太景茂)。鎌倉一族のよしみで見逃してくれたのかも?年恒「石橋山合戦之図」より

景時は鎌倉一族ですが、挙兵当時から頼朝に従っていた同族の懐島太郎景義(ふところじまの たろうかげよし)や豊田次郎景俊(とよだの じろうかげとし)などを頼らず、実平を頼った辺りに一族内の確執があったのでしょうか。

後に頼朝の懐刀として陰に陽に活躍する景時ですが、どのようななりゆきで鎌倉武士団に加わることになるのか、本編が楽しみですね。

終わりに

彼らのほかにも頼朝に加勢するものの源氏の棟梁をめぐってライバル心を燃やす武田信義(演:八嶋智人)や、初登場では啖呵を切ったものの風を起こす術に失敗した頼朝の異母弟・全成(演:新納慎也)など、ますます多彩に描かれる物語。

亡き兄・北条宗時の親友でもある祐清を、何とか助けたいが……(イメージ)菊池容斎『前賢故実』より

そんな中、かつては志を共にしていた伊東祐清(演:竹財輝之助)が捕らわれ、頼朝の命で伊東一族を討つべく軍勢が発せられたとのこと。

八重姫(演:新垣結衣)たちの身が危い……義時は義村と共に伊豆へ急行するのでした。
一難去ったらまた一難……展開目まぐるしい三谷大河から、目が離せませんね。

※参考文献:

『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 前編』NHK出版、2022年1月 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 完全読本』産経新聞出版、2022年1月

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