源頼朝の先祖と死闘を演じた藤原経清(奥州藤原氏祖)の壮絶な生涯【その3】 (3/7ページ)
一方、源頼義は白旗山と呼ばれる小高い丘に本陣を構えました。これが世にいう「黄海(きのみ)の戦い」です。
九死に一生を得た頼義と義家経清は、安倍軍の強靭さと兵力が歴戦の頼義軍にも勝ること、さらに雪上での戦いに慣れているという判断から、野戦を行うことを貞任に進言します。戦いは吹雪が吹き荒れる極寒の中で行われました。安倍軍は、地の利も活かし頼義軍を圧倒します。戦いが進むにつれ、頼義麾下の部将たちが次々と討ち取られていきました。
国府軍は数百の戦死者を出し、壊滅的な敗北を喫したのです。そして、乱戦の中、頼義討死の誤報が流れるほどでしたが、嫡男義家が奮闘し窮地を脱出しました。
源頼義の嫡男義家。武勇に優れ、鎌倉・室町と続く源氏隆盛の礎を築いた。(写真:Wikipedia)
しかし、貞任と経清は敗走する国府軍を執拗に追いつめます。そして、ついに雪原を彷徨う頼義・義家父子とわずか6騎にまで減った郎党たちを包囲したのです。ここに頼義の命運は極まったかに見えましたが、貞任と経清は彼らにとどめを刺しませんでした。
経清:見よ貞任、我らはついに頼義を捉えたぞ。