源頼朝の先祖と死闘を演じた藤原経清(奥州藤原氏祖)の壮絶な生涯【その3】 (4/7ページ)
だがここまで追い詰めれば十分だろう。この場は見逃してやろうぞ。
二人の目的は頼義を陸奥から追い出すことにあったのです。もし、勢いに乗じて、国司兼鎮守府将軍である頼義の命を奪うことになれば、完全な朝廷への反逆になります。敗戦の痛手で、頼義にはしばらくの間、安倍氏と事を構える余裕がないだろうとの判断もあったのでしょう。
実際、命からがら多賀城へ帰り着いた頼義は、朝廷からの援軍も期待できず、安倍氏の動静を見守るしかない状況に追い込まれていたのです。
「黄海の戦い」で頼義が本陣を構えた白旗山。(写真:T.TAKANO)
ただ、貞任・経清もそんな頼義の状況に安堵していたわけではありません。頼義は必ず巻き返しを図ってくるに違いない。その時のために軍備を整える必要がありました。
経清:頼義はこれに懲りず、必ず戦を仕掛けてくるに違いない。我らはそれに備えることこそ肝要ぞ。
貞任は、奥六郡以南に勢力を伸ばします。経清は朝廷の赤符を無視し、独自の白符を発行し税の徴収を行います。こうした貞任や経清の動向を、彼らの驕りとか横暴さと捉える向きが多いようです。しかし、源頼義を相手にするからには、常に国府が動員できる兵を上回る戦力を維持する必要があり、そのための経済活動であったと考える方が妥当ではないでしょうか。