源頼朝の先祖と死闘を演じた藤原経清(奥州藤原氏祖)の壮絶な生涯【その3】 (5/7ページ)

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 藤原経清が本拠とした亘理郡の豊田館跡。(写真:Wikipedia)

清原氏の援軍に活路を見い出した頼義

 頼義の要請に応えて陸奥国府軍に加わった清原武則。(写真:Wikipedia)

頼義が三度陸奥守に任じられる

安倍貞任や藤原経清は、源頼義に対する警戒心を解いていませんでした。しかし、そんな心配をよそに1062(康平5)年の春、源頼義の陸奥国司としての任期が終了します。これで頼義が都に戻れば、経清が考えた通りの筋書きとなったのですが、ことは思い通りに運びませんでした。

「黄海の戦い」での屈辱的な敗戦の復讐に燃える頼義はこの間、河内源氏に縁のある畿内・東海・関東の武士たちに働きかけ戦力の増強を図っていました。

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