【鎌倉殿の13人】殺しても構わぬ…石橋山で討たれた息子の仇の身柄を預かった岡崎義実の決断 (4/4ページ)
「生かしておけば、必ずやお役に立ちましょう」
息子を討たれた怨みを呑み、広い心で赦してくれた義実の期待に、定景は全力で応えたのでした。
そんな定景は死後、長尾の所領(現:横浜市栄区)に葬られましたが、昭和になって鎌倉の久成寺(日蓮宗)に改葬。
定景の子孫はやがて越後国(現:新潟県)へ移り住み、越後の龍と恐れられた戦国大名・長尾景虎(上杉謙信)を輩出しています。
それもかつて義実が怨みを捨てたればこそであり、彼の決断が日本の歴史を大きく変えたと言えるのかも知れませんね。
※参考文献:
上杉和彦『戦争の日本史6 源平の争乱』吉川弘文館、2007年2月 野口実『源氏と坂東武士』吉川弘文館、2007年6月 栄区地域振興課『栄区郷土史ハンドブック』横浜市、2015年3月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan