「鎌倉殿の13人」いよいよ義経デビュー戦。佐竹征伐にどう動く?第10回「根拠なき自信」予習 (3/6ページ)
太(はなは)だ速(すみやか)也。
※『吾妻鏡』治承4年(1180年)11月4日条
【意訳】広常に誘われた義政が、大矢橋の辺りにやってくる。頼朝は互いの家来たちを下がらせ、橋の中央に義政と広常だけが残ったところ、すかさず義政を討たせた。
……文中の「誅」とは罰として殺すニュアンスがあり、頼朝は呼び出した時点で義政を殺すつもりだったようです。
その動機は不確かながら、おそらく「(戦わずに済むと)ぬか喜びさせやがって、この役立たずめ死ね!」程度の腹いせあるいは景気づけと考えられます。
人質にとってもよさそうなものですが、そんな器用なことは思いつかなかったのでしょう。
正攻法がダメならば……さぁ、こうなったら完全に交渉決裂。金砂城に立て籠もった佐竹秀義を攻めることになりました。
頼朝は数千の軍勢を繰り出し、それを率いるメンバーは以下のとおり。