戦国最強の女武将!女戦士・妙印尼輝子(みょういんにてるこ)に豊臣秀吉も感服!? (3/4ページ)
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ことの経緯だけを見ていると、国繁という人は戦国武将としていまいちパッとしない印象ですね。息子のこの様子を見ていた輝子の胸中は、いかばかりだったでしょうか。
ところが、豊臣秀吉をも驚かせる、輝子の「伝説」はここからが本番でした。
小田原征伐での骨肉の争い1590(天正18)年、天下統一に向けた豊臣秀吉の小田原征伐がいよいよ始まります。この時、小田原城にいた国繁は、北条側について戦うことになりました。
ではここで、輝子はどうしたかというと……。なんと、彼女は当時10歳だった孫の由良貞繁を領主に立てて、その後見人として豊臣方へついたのです。
国繁とは、まさに骨肉の戦いの構図になったのでした。
彼女は、自ら軍隊を率いて前田利家・上杉景勝の北国軍に参加。松井田城の城主である大道寺政繁を攻めます。
そして豊臣軍が勝利すると、輝子は前田利家に秀吉への口利きを頼みます。かくして輝子は、秀吉へ直接、由良家の存続と国繁の救済を願い出る機会を与えられました。輝子77歳のことです。