日常的に着物を着ていた日本人が何故洋服を着るようになったのか、明治時代の「引札見本帖」に探る【前編】 (2/3ページ)

Japaaan

左側に空白がありますね。そこに宣伝文句などを書き込むのです。そうすると・・・。

引札 淡谷呉服店 出典:青森県立図書館デジタルアーカイブ

引札 淡谷呉服店 出典:青森県立図書館デジタルアーカイブ

少し絵柄が違いますがそこは雰囲気で感じ取っていただいて、左側の空間に広告主が入れたい文言を書いて“引札”という広告チラシを作ったのです。上掲の引札は商店の広告として作られたものですね。

ちなみに上記の淡谷呉服店は明治から大正期における青森市の豪商であり、昭和の大歌手・淡谷のり子さんのご実家でもあります。

このように引札は広告として現代と同じように、その当時の最先端のものやファッションなど人々が憧れる対象が描かれています。

明治時代という日本の大きな歴史変革

江戸時代、日本は鎖国制度により外国との交渉をごく一部の人間だけに限定し、日本人は海外の情勢をほとんど知らずに日本の今までの歴史の流れに準じて暮らしていました。

しかし鎖国制度を廃止して日本はまずアメリカと“日米修好通商条約”を結び、日本の5か所の港にアメリカの船が出入りし、貿易をすることを認めました。
しかしこの条約は「治外法権」「関税自主権がない」といった不平等条約でした。

明治10年代後半、日本は“欧化政策”の推進に必死で取り組んでいました。不平等条約の改正を実現するためには、日本が欧米並みの文明国であることを示す必要があったからです。

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