日常的に着物を着ていた日本人が何故洋服を着るようになったのか、明治時代の「引札見本帖」に探る【前編】 (3/3ページ)
鹿鳴館における舞踏会を描いた浮世絵 画:楊洲周延『貴顕舞踏の略図』ウィキペディアより
日本は“鹿鳴館”を建設し、同館落成の1883年(明治16年)より各国の外交官を招待して連日にわたり舞踏会を開き外国との交渉に励みました。もちろん、そこには招待者側の日本政府の高官も、婦人同伴で参加したのです。
洋装の女性達 新版引札見本帖.第2 国立国会図書館デジタルコレクションより
彼女たちには、国家的な使命が課せられていました。
洋服を着こなすのはもちろんのこと、マナーやエチケットをわきまえ、洋服を着こなし踊ることで、日本の文明の高さを証明しなければならなかったのです。
これが、初めて日本人が洋服を着るようになったきっかけなのです。
日常的に着物を来ていた日本人が何故洋服を着るようになったのか、明治時代の「引札見本帖」に探る(中編)に続きます。
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