歴史書で捏造された冤罪。武田家の重臣・長坂光堅は本当に極悪人だったのか?【後編】 (4/4ページ)
ただ、『甲陽軍鑑』を書いたのは、武田信玄に仕えた重臣・春日虎綱か、あるいは彼に近い親族だとされています。『甲乱記』も同様です。そして『甲陽軍鑑』の記述は全体的に光堅について辛辣というよりも辻褄が合わない捏造・でっち上げに近い個所が多いのは、これまで見た通りです。
一方、『信長公記』はわりあい記述内容に信頼がおけるとされていますし、光堅のことをあえて持ち上げる必要がないにも関わらず、忠臣として記しています。
このことからも、光堅の最期についても、語り継がれているようなひどさではなかったのではないでしょうか。
それにしても光堅は、なぜここまで悪しざまに書かれたのでしょうね。はっきりした理由は不明です。この他にも、『甲陽軍鑑』では武田信玄が光堅を「口だけしか動かない男」と評していたともあります。
しかし、そんな人物が重臣、板垣信方の後任に据えられるのは不自然です。また光堅は北信濃の豪族・香坂氏の調略も任されたり、上杉氏の侵攻に備えての地形調査の役割も担っています。「口だけ」の人物がここまで重用されるのはおかしいでしょう。
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