【鎌倉殿の13人】ハニートラップ失敗!渡邉梨香子が演じる常(つね)、史実のモデルは誰? (3/5ページ)

Japaaan

菊池容斎『前賢故実』より

治承4年(1180年)5月に京都で以仁王(演:木村昴)が挙兵した際、京都にいた父の下河辺行義(ゆきよし)と兄の下河辺行平(ゆきひら)が、伊豆に流されていた源頼朝(演:大泉洋)にその情報をいち早く伝えます。

そして8月に頼朝が挙兵するとこれに呼応、兵備を整えて11月の佐竹討伐に従軍しました。

寿永2年(1183年)2月には下野国で頼朝と対立していた志田義広(しだ よしひろ。叔父)を小山一族と共同で撃破(野木宮合戦)。後に残党の足利俊綱(あしかが としつな)が討たれた時は、面識があったため首実検に呼ばれています。

その後は兄の行平と共に頼朝の近臣として奉公し、元暦元年(1184年)に常陸国(現:茨城県)南部を所領として与えられました。

元暦2年(1185年)には平家討伐のため源範頼に従い、豊後国(現:大分県)まで遠征。みんなで力を合わせ、ついに平家を滅ぼします。

これで頼朝の大願成就、めでたしめでたし……と思っていたら、同年11月。源義経が頼朝に対して謀叛を起こすと、義経の舅であった河越重頼が改易(所領没収)の上で誅殺されてしまいました。

重頼は政義の舅でもあるため、政義本人は何もしていないのに、連帯責任で改易されてしまいます。

まったく理不尽極まりない……さぞや落胆したことでしょうが、それから2年後の文治3年(1187年)に頼朝の使者として活動再開。御家人に復帰できたようです。

一方で義経は文治5年(1189年)に平泉で郷御前と共に自害。姉妹の死に“常”は何を思ったでしょうか。

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