「安政の大獄」のイメージは誤解!”暴走キャラ”扱いされた大老・井伊直弼の実像 (2/5ページ)

Japaaan

国宝・彦根城天守閣

とはいえ別に冷遇されていたわけではありません。直弼は禅、居合、兵学、茶道などの教養を積み、さまざまな分野で経験値を積んでいきます。特に茶道については卓越したセンスを備えており、『茶湯一会集』は代表作として知られています。

また、直弼は多忙な身になっても茶会だけは家族と過ごしました。5歳で母を亡くした経歴があるので、家族を大切にしようという気持ちが強かったのかのかもしれません。

やがて、井伊家の男子が次々に早逝するなどし、彦根藩主を経て幕府の大老の地位に昇り詰めます。

慎重な性格の井伊直弼

さて、彼の性格については、その慎重さが分かるエピソードが2つあります。

1つめは、1858年の大老就任のときのものです。最初、指名を受けた直弼は「辞退したい」と申し入れているのです。

これはあくまでポーズに過ぎなかったのですが、すぐさま飛びつかないという格好が重要でした。彼は「強く要請されて就任する」という形式にこだわったのです。直弼は、将軍から再び請われてようやく任務を引き受けました。

2つめは、日米修好通商条約に関するエピソードです。

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