「安政の大獄」のイメージは誤解!”暴走キャラ”扱いされた大老・井伊直弼の実像 (3/5ページ)
日米修好通商条約(外務省外交史料館蔵)(Wikipediaより)
日本史について多少知っている人は、日米修好通商条約については「井伊直弼は朝廷の勅許を得ずに条約調印を強引に進めた」という印象を持っているかも知れません。
しかし、実際には孝明天皇が強く拒絶したことを受け、関係する役人を招集し、多くの意見を聞き、ことを慎重に進めようとしています。
ここで、条約調印を強引に進めようとしたのは、むしろ直弼以外の役人たちです。彼らは「即時の調印をするべきだ」と述べますが、直弼はそれでも勅許を得ることにこだわりました。
その後も、条約交渉の全権である井上清直と岩瀬忠震には「できる限り調印を延ばすように」と依頼していますし、井上が「交渉が行き詰まった場合は調印してもよいか」と尋ねた折には「その際は仕方ないがなるべく延期するよう努めよ」と回答しています。
最終的には勅許を得ることなく、日米修好通商条約は締結されたわけですが、そこに至るまでの経緯は「井伊直弼が強引にことを進めた」というイメージとは正反対のものでした。
「暴走キャラ」扱いされた井伊直弼では、なぜ井伊直弼は後世で暴走キャラとして見られるようになったのでしょうか。