楽に生きて穏やかに死ぬために改めて考え直したい「布施行」 (3/3ページ)

心に残る家族葬

そしてオウムがカルト宗教の中でも危険だった点は、脱・現世思想だったことである。信者が布施を献上するのは、基本的にはこの世における様々な苦しみから逃れ幸福を得ること。現世利益という対価を得るためである。これに対してオウムは信者に出家の道を用意し、この世の幸福に背を向けさせた。信者たちの目標は解脱である。現世からの離脱を唱えて集団自殺に及んだカルト団体は多い。これはこの世に対する執着がなくなったからとも言える。悟りと狂気は紙一重だ。オウムはそこからさらに一歩進み、世界中の人間も解脱させるべきだとした。この世に対する執着を捨てさせ、この世の未練を捨てさせよというわけである。かくして一連の悲劇が幕を開けたのだった。なお教団の教祖は逮捕を免れたく警察から身を隠し、発見時には現金数百万円と共に息を潜めていたという。執着の権化のような「最終解脱者」であった。オウム事件は無執着という仏教の本義も、人によっては暴走する危険を孕んでいることを示したといってよい。

結局のところ私たちはこの世に対する執着で生きている。この世への執着はそのまま死の恐怖につながっている。秀吉のような英雄からカルト教祖に至るまで死の瞬間まで執着は消えない。まさに人間の業であり、これを捨てるのはほぼ不可能に思える。

■小さなお布施でも

それでも私たちは他者のために何かをしたり、何かをあげたりすることがある。それによってその人が喜んでくれならこちらも幸せな気持ちになるだろう。「雑宝蔵経」は与える物がない人でもできる「無財の七施」を説いている。人を優しい眼差しでみる「眼施」、優しい顔や笑顔を見せる「和顔施」など。笑顔を人に見せるのも布施行だという。素敵な考えだと思う。

仏教の根本思想は「無我」と「縁起」(つながり)である。「自分が」「自分の」「自分に」「自分を」とならず、小さなことでも与え合うこと。互いに「お布施」をし合えるなら、解脱とまではいかなくても少しは楽に生き、穏やかに去ることができるかもしれない。

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