楽に生きて穏やかに死ぬために改めて考え直したい「布施行」 (1/3ページ)

心に残る家族葬

楽に生きて穏やかに死ぬために改めて考え直したい「布施行」

お布施という言葉にあまり良いイメージは無いのではないか。大抵は葬儀や法事の際に僧侶に支払う読経代を指し商売の臭いが漂う。怪しげなカルト教団の教祖に金品を貢ぐ行為を浮かべる人もいるだろう。伝統宗教の「生臭坊主」やカルトによって皮肉めいた響きが根付いてしまった「お布施」だが、本来は私たちがこの世に生きる苦しみから解放されるための基本かつ重要な「行」のひとつであった。

■苦の最大の原因「執着」

豊臣秀吉の最期はわが子秀頼の行く末を案じながら逝ったと言われる。望むすべてのものを手にした天下人。しかし成り上がり故に後ろ盾を持たない秀吉は自分の死後、家の存続と子の未来を最も恐れた徳川家康に託すしかなかった。

ブッダは生きることは苦であると説いた。その原因は「執着」にある。仏教の教えとは執着を捨てることに尽きる。執着とは何々が欲しい、何々を失いたくないと、その何々にこだわり、しがみつくことである。苦しみの原因はそこにある。生きることは求めることであり、求めることが苦となる。

現実のこの世界では、よほどの苦境に陥っていない限り私たちは生きていたい、死にたくないと思うのが普通である。やりたいこと欲しいものはたくさんある。それらの願いが叶えば幸せになれる。幸せになるために生きていたい。そう考える。しかし願いが満たされない毎日は苦しい。叶ったら叶ったでせっかくの幸せを失いたくないと、その幸せにしがみつく。ゆえに幸福もまた苦の原因である。ブッダは「愛別離苦」とも言う。愛する者がいることは幸せだが、失う恐怖がつきまとい、失った時の悲しみ苦しみは計り知れない。最も大切な存在が、最も大きい苦しみを生む。それにしがみつかなければ失っても苦しまず、そもそも最初から欲しがらなければ苦しみは生まれない。

対象が何であれ、そのあるものに執着して手放せないからそこから動けない。動けないから死んでもまたその続きが待っている。これを「業」(カルマ)という。輪廻転生の円環から抜け出せない最大原因である。私たちは執着を捨て業を消化しない限り、つまり「解脱」をしない限り永遠に輪廻の中で苦しむことになる。
そこでブッダは「出家」と「布施行」を説いた。出家は欲望に溢れた日常世界に背を向け解脱するための修行の道に入ること。

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