楽に生きて穏やかに死ぬために改めて考え直したい「布施行」 (2/3ページ)

心に残る家族葬

そのために家族や財産など持てる物はすべて捨てなければならない。一国の王子だったブッダも執着を捨てるために国や家族を捨て出家した。求めず、捨てること。布施行はそのための基本であり最も重要な行となる。同時に出家をせず普通の生活を送る在家の民でもできる行でもあった。

■執着を捨てるための「布施行」

布施行は輪廻転生から解脱して仏になるための六つの行「六波羅蜜」のひとつであり、その最初に位置する。まず行うべき最初の修行が布施である。布施には「法施」「財施」「無畏施」がある。「法施」は真理の法・仏法を授けること。「財施」は金銭や土地、食料など物理的な財産を寄進することとされる。

当然「法施」は出家者が在家者に与える布施である。「財施」は出家のための準備であり、また出家できない在家の信者でも可能な方法である。最も日常的な財施は出家者の支援だろう。労働を禁じられている出家者は日に2度、食べ物を貰うために町に出る。これを「乞食」(こつじき)という。在家者は乞食を行う出家者に食べ物を与える。出家者は布施のおかげで労働をせず修行に打ち込め、在家者は布施をすることで出家者から法施を頂ける。互いに持てるものを与える、つまり自分にとっては捨てることで、より価値あるものを頂ける。これを「功徳を積む」という。

なお「無畏施」は苦境に陥っている人に助けとなる言葉を与えること。他者に物を与え、言葉与え、法を与える。持てるすべての物を手放し、何も所有することなく執着から解放される。やがては「生」そのものへの執着も捨て去るようになる。布施をすることで「功徳」が積まれて「業」が消えていく。魂が清らかになると言い換えてもよい。解脱への大きな一歩である。

お布施を読経代というとありがたみが薄れるが、本来の意味から外れてはいない。読経とは参列者に仏法を説く法施であり、葬儀は僧侶と参列者が相互に布施を与える場でもある。


■「無執着」の暴走

布施のもう一つのマイナスなイメージはカルト教団の集金システムである。教団の運営などに使われるのはまだ良いが、教祖や幹部らの遊興費となるのは言語道断である。その代表がオウム真理教だった。

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