女性天皇をたぶらかした悪僧・弓削道鏡。「日本三大悪人」のひとりとされた彼の悪評は捏造!? (4/5ページ)
軍事指揮権は、太政官だった藤原永手(ふじわらのながて)や吉備真備(きびのまきび)の手に渡り、4名の親族が流刑となりました。
道鏡自身は、下野国の下野薬師寺別当に左遷となりそのまま死没。死後は一庶民として葬られたそうです。
悪評は藤原氏の捏造?
このように天皇を誑かした悪僧として知られている道鏡ですが、実は、このストーリーをきちんと記した具体的な記録は『続日本紀』以外には存在しません。
そして『続日本紀』は藤原氏と関係が深い史書で、道鏡と藤原氏は対立関係にありました。わざと道教を貶める書き方がなされた可能性もあります。
近年ではこうした「道鏡悪人説」に対する疑問の声も出ており、史料の再研究が行われています。
道鏡をめぐる『続日本紀』の記述で怪しいとされているのは、以下の内容です。
①道鏡が失脚した後も、なぜか和気清麻呂は昇進していない。
②道鏡は「左遷」はされているが、僧籍を離れて俗人に還ること(還俗)はしていない。皇位を奪おうとしたにしては処分が軽い。
