平安時代の人命、軽すぎ…重大事故の犠牲者を、貴族たちはどう見ていたのか? (2/4ページ)
それとも殺された上で死体を叩きこまれたのか、そうした状況については一切不明のままです。
それもそのはず。当局にとって問題なのは、女童が死んでしまったことより、そのケガレ(死穢)によって物忌(ものいみ。謹慎≒業務停止)せねばならぬこと。
いつになったら物忌が明けて業務が再開できるのか、その日程調整に終始しています。
現代だと、施工現場で重傷者が発生したにもかかわらず「工期が迫ってるんだから、救護よりも作業を続けろ!」と煽り立てる責任者のような感覚でしょうか。
転落事故で大騒ぎ以上は子供の死亡事故でしたが、では大人の事故と言うと……。
時は流れて寛弘8年(1011年)10月。三条天皇(さんじょうてんのう。第67代)の即位式が行われました。このハレ舞台を一目拝もうと多数の見物客が押しかけた結果、橋の欄干(らんかん。手すり)が壊れて転落事故が発生します。
とうぜん負傷者が出て、現場はてんやわんやの大騒ぎとなりました。が、この時の様子を式典に参加していた藤原行成(ふじわらの ゆきなり)は『権記』にこう記しました。
「群衆の呼び叫ぶ声を聴いたけれども、たまたま心身の傾動はなかった(意訳)」
行成は式典で宣命(せんみょう。天皇陛下の命令書)を読み上げる大役を務めており、すぐそばで他人がどうなろうと、動揺してしまっては末代までの名折れというもの。
平常心で任務を全うした自分エライ!という達成感に満ちあふれていますが、いくら国家の重要行事とは言え、さすがに人格を疑ってしまいそうです。