平安時代の人命、軽すぎ…重大事故の犠牲者を、貴族たちはどう見ていたのか? (3/4ページ)

Japaaan

また寛仁2年(1018年)4月には、内裏の昭陽舎(しょうようしゃ。梨壺)を造営していた大工が高所から転落して死亡。

せっかくのリニューアルにケチ(穢れ)がついては困る、あるいは物忌で工期が延びてはかなわんとばかり、当局はみんなに口止めします。

しかし人の口に戸は立てられぬもの、たちまち噂は広がってしまいました。あるいは誰も話していなくても、誰かが「あれ、あの人(死んだ大工)を見かけないな……」などと感づいたのかも知れません。

これは藤原実資(さねすけ)が日記『小右記』に綴った内容ですが、察するに事故の隠蔽よりも「昭陽舎が穢れてしまったではないか」と不満を洩らしているようです。

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