武将は首級で競い合う!?戦国時代、徳川家康に仕えて武功を競い合った松平康安&山田正勝のエピソード (2/4ページ)
「やい平一郎よ、そなたは日ごろ『武功一等』『斬込一番』など大法螺ばかり吹いておるくせに、首級が遅れたのはどうしたことか」
からかわれた平一郎は、とっさに嘘を吐(つ)いてごまかします。
「う、うるせぇ。わしの方が早かったわい。最初の首級はとっくに検(あらた)め、これは二つ目の首級じゃ」
声色から嘘は察しがついたものの、それを追及してもあまりカッコよくありません。そこで善四郎は「ちょっと待ってろ」とその場を立つと、再び敵中へと殴り込んでいきました。
「ほれ、これで二つ目じゃ!」
あっという間に善四郎は二つ目の首級を持って帰ると、平一郎はぐうの音も出ません。その様子に家康は「勝負あり」と感心したということです。
遠目坂の合戦にて「康安先手にすゝみ、甲首一級をうち取て実験に備へ、山田平一郎正勝をくれて首をとり来るを見て、日頃の大言にも似ず、なぞをそかりしといふ。正勝いつはりて、我汝よりさきにえたる首とく実験に備へたり。これは二たびぞとこたふ。康安きゝもあへず、我汝にまくべきやといひざま、乗出して敵陣にはせいり、また首とりて来りければ、東照宮御感あり」
※『寛政重修諸家譜』巻第二十六より
さて、次はどうでしょうか。
時は天正8年(1580年)8月、遠目坂で武田軍と戦った時のこと。今回も善四郎と平一郎は先駆けを争っていると、敵の猛将・朝比奈彦右衛門眞直(あさひな ひこゑもんさねなお)が兵をまとめていました。