【鎌倉殿の13人】源義高は女装し脱出!決死の覚悟で身代わりになった海野幸氏の活躍ぶり (4/6ページ)
父や兄らは討死・処刑されてすでに亡く、頼朝を欺いた自分も程なく討たれるのだろうと覚悟していた幸氏ですが、意外なことに罪を赦されました。
「身命を惜しまず、主君を守ろうとした忠義はまことに天晴れである。木曽殿と冠者殿のことは法皇猊下の思し召しゆえ致し方なかったが、これからはどうか鎌倉に力を貸して欲しい」
義仲の怨みを抱いて再起し、源氏の棟梁に成り代わる危険性がある義高さえ討てれば、後の者たちはなるべく活かしたかったのです。
事ここに至って幸氏は頼朝を新たな主君と仰ぎ、同じく赦された望月重隆らともども忠勤に励むのでした。
弓の名手として名を挙げた幸氏は、鶴岡八幡宮の弓始(文治6・1190年)や富士の巻狩(建久4・1193年)で活躍。また建久6年(1195年)に頼朝が上洛した際、住吉大社で行われた流鏑馬には、重隆と共に東国代表として出場しています。
こうした活躍から天下八名手(※)とも弓馬四天王(※)とも称され、頼朝の死後も第2代将軍・源頼家(演:金子大地)、第3代将軍・源実朝(演:柿澤勇人)にも弓射の技量を披露しました。
(※)諸説あり。