【真説 鎌倉殿の13人】上総介広常をもっと知りたい!本名・兵力・誅殺の理由など真相に迫る【その2】 (2/6ページ)
上総介と頼朝の考えの違いとは
上総介広常に流れる独立心という血脈
坂東武士による東国独立が上総介の願望だった。(写真:Wikipedia)
上総介広常が頼朝を助けた最大の理由は、関東に坂東武士の独立国をつくることだったと思われます。しかし、頼朝の考えは全く違いました。あくまでも京都の朝廷の権威を後ろ盾にした権力の確立にあったのです。
頼朝は平家追討において木曽義仲に先を越された時、先手を打って後白河法皇に工作を行います。それによって得たものが『寿永二年十月宣旨』と呼ばれる宣旨で、これにより頼朝は一介の流人を脱し、実質上の東国支配者となりました。
そもそも坂東武士の多くは、桓武平氏の血筋を引いています。かれらの先祖の平将門や平忠常は、京都の朝廷とは一線を画し、東国は独立独歩でやっていこうという考えで乱を起こしたのです。
上総介は前述した通り、平忠常の直系子孫となります。ですから先祖が夢見て果たせなかった東国独立という夢を頼朝にかけていたとしても何ら不思議はないのです。