【真説 鎌倉殿の13人】上総介広常をもっと知りたい!本名・兵力・誅殺の理由など真相に迫る【その2】 (3/6ページ)
広常の支配する上総国に干渉した平清盛。(写真:Wikipedia)
上総介がかつて主君と仰いだ頼朝の父義朝とともに保元・平治の乱を戦ったうえで、上総介はある教訓を得ていたのでないでしょう。それは、武士は中央の権力者である院や高級貴族のために戦うコマに過ぎないというものだったと思われます。
平治の乱で勝利した平清盛と平氏も、結局は高級貴族化していきます。そして、清盛は上総国に自分の近臣を国司として送りつけました。清盛の権威を笠に着る国司と対立した広常は清盛に勘当されてしまいます。中央政権の考え一つで、上総介一族が代々懸命に守ってきた上総国の支配に大きな危機が訪れたのです。
上総介の頼朝軍への参陣は、一つは中央勢力である平家政権との決別であり、もう一つは頼朝という旗頭を担いで、坂東武士が東国を支配するためのものであったのです。
