【真説 鎌倉殿の13人】上総介広常をもっと知りたい!本名・兵力・誅殺の理由など真相に迫る【その2】 (5/6ページ)

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そうした状況が周りからは、上総介の態度が横暴に見えたのでしょう。二人の関係は、そんな悪循環に陥っていたと推測されるのです。

『吾妻鏡』の1181(治承5)年6月19日の条に「広常は普段から無礼な振る舞いが多く、頼朝に対して下馬の礼をとらなかった」と記されている上総介像は事実であったと思われます。

頼朝が語った上総介広常誅殺の真相

 頼朝の命で上総介広常を殺害した梶原景時。(写真:Wikipedia)

1183(寿永2)年12月、上総介は頼朝の命を受けた梶原景時に大蔵御所内で討たれました。

上総介広常誅殺の経緯について、源頼朝は7年後に上洛し、後白河法皇に次のように語ったと『愚管抄』に記されています。

「私が上総介を殺したのは、上総介が朝廷をないがしろにする言動によります。上総介は常々私に対し、なぜあなたはそこまで朝廷に気を使われるのか。それは見苦しいばかりだ。坂東武士に対し、朝廷であれ誰であれ、命令などできようものか。」

この言葉こそ、頼朝の上総介広常誅殺の真相でした。上総介の存在を許せば、頼朝が朝廷から叛乱軍とみなされる可能性があったのです。だから、頼朝は早々にその芽を摘んだのでした。

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