小者だからと侮るな!戦国時代、毛利家三代に仕えた歴戦の勇士・相嶋光久の武勲 (3/4ページ)
いつかは立派な武士の身分に……光久夫妻の夢はふくらむ(イメージ)
「ようし、これからもっと精進して、そなた(妻子)たちに楽をさせてやるのじゃ!」
「その意気でございますよ!」
ますます奉公に励んだためか、国司家中でも高く評価されたであろう光久。永禄10年(1567年)ごろに国司元相が隠居、嫡男の国司元武(もとたけ)が家督を継いだ後も引き続き仕えます。
永禄12年(1569年)には九州へ渡り、豊前三ケ岳城(福岡県北九州市)の攻略にも戦功を立てたため、安芸国佐伯郡吉和荒所(広島県廿日市市)に5貫目を与えられました。
ここで言う5貫目とは面積ではなく通貨の単位。貨幣価値に換算して5貫目になる量の米が穫れる土地……というより、現地の収穫量から5貫目分の米を分けてもらえる権利を得たものと考えられます。
続けて同年8月には備後神辺城(広島県福山市)に籠城した藤井皓玄(ふじい こうげん)を攻め、鉄砲で敵数名を射殺する武勲を重ねました。