小者だからと侮るな!戦国時代、毛利家三代に仕えた歴戦の勇士・相嶋光久の武勲 (4/4ページ)

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命懸けの武功により、息子が毛利家に取り立てられる

鉄砲の名手としても知られた光久(イメージ)

かくして毛利家中でも歴戦の勇士として名が知られ始めたであろう光久。しかし天正10年(1582年)2月に鳥取城を奪還するべく出陣、これが最後の戦となります。

激しい攻防戦の最中、組頭であった河野太郎左衛門元政(こうの たろうざゑもんもとひさ)が討死。

ここでも獅子奮迅の働きを示し、既に2名の敵を討ち取っていた光久は、河野を討った敵の軍勢へ殴り込みました。

「おのれ、組頭の仇!」

しかし衆寡敵せず、光久は討死してしまいます。享年47歳。

この武功により息子は毛利輝元(もうり てるもと)より元の字を拝領して相嶋元光(もとみつ)と称し、取り立てられたということです。

親の遺徳が子に報われ……その後も相嶋家は主君に忠義を尽くし、奉公に励んだことでしょう。

※参考文献:

山口県文書館 編『萩藩閥閲録 第4巻』山口県文書館、1987年11月

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