「1日3食」は、戦乱と災害復興から生まれた習慣だった。やっぱり腹が減っては戦はできぬ…! (2/3ページ)

Japaaan

鎌倉時代の武士も同様に基本的には1日2食でしたが、戦が長期になると軽い食事を持ち歩いて食べていました。この時に重宝されていたのが、おにぎりといわれています。

お弁当や携帯食の始まりです。やはり「腹が減っては」なんとやらですね。人間は、日々の生活については自然のサイクルに合わせていけるものの、戦や労働という、自然のサイクルにそぐわない活動ろするようになると、特別にエネルギーの補給が必要になるのでしょう。

このように、武士のエネルギー補給のための食事が大きな意味を持つようになり、最終的に多くの人々が「3食」採るようになったのは、江戸の大火と菜種油の普及が大きなきっかけになったと言われています。

大火によって焼け野原となった江戸の町を復興させるために、各地から大工や左官職人が集まりました。しかし、肉体労働者は1日2食では体力が持たず、家に毎度変えるわけにも行きません。そこで、そうしたニーズを踏まえて江戸の町に生まれたのが飯屋です。

菜種油で増えた「夜の時間」

こうしたお店が、災害復興のために働いていた職人たちに、お昼過ぎにご飯を提供したことにより、「1日3食」が武士のみならず一般の人々にも広まっていくきっかけになったと考えられています。

1日3食の習慣が広まったもう一つの要因「菜種油」については、この菜種油のおかげで「明かり」が普及したことが挙げられます。

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