たった一日の執権職…鎌倉幕府最後の執権・北条貞将が見せた忠義の心意気 (3/5ページ)
守時らの最期:
鎌倉幕府滅亡のとき、なんと65回もの突撃を繰り返す激戦だった たった一日の執権職「……最後のご挨拶に参りました」
残った兵はわずかに800余、自身も7か所の傷を負った貞将は、高時が陣を構える東勝寺にやって来ます。
「多年の功績により、そなたを両探題職(りょうたんだいしき)並びに相模守(さがみのかみ)に任ずる」
……入道不斜感謝して、軈て両探題職に可被居御教書を被成、相摸守にぞ被移ける。
※『太平記』巻第十「大仏貞直並金沢貞将討死事」
両探題職とは執権および連署(れんしょ。執権に署名を連ねる。副執権)を指し、この時点で連署には北条茂時(もちとき)がいるため、5月18日の守時討死で空席となっていた執権と解釈可能です(諸説あり)。
また、相模守は執権に就任した者の多くが任官しており、ここに貞将は鎌倉幕府の第17代(最後の)執権となったのでした。
