たった一日の執権職…鎌倉幕府最後の執権・北条貞将が見せた忠義の心意気 (4/5ページ)
……もちろん、滅んでしまえばすべてムダなのかも知れません。それでも死してなお朽ちぬ名を求めてこそ武士の本懐。
「多年の所望、氏族の規摸とする職なれば、今は冥途の思出にもなれかし」
【意訳】永年の望みであり、一族の名誉(※父の北条貞顕も執権でした)である役職をいただき、冥途のよき土産となりましょう。
※『太平記』巻第十「大仏貞直並金沢貞将討死事」
高時から恭しく御教書(みぎょうしょ)を受け取ると、貞将は筆をとってその裏面にスラスラと文字を大書します。
「棄我百年命報公一日恩」
我が百年の命を棄て、公(きみ。主君)が一日の恩に報ぜん……ただ百年を生き延びるより、あなたが任じて下さった執権としての一日に、残った命すべてを燃やし尽くしましょう。
貞将は御教書を鎧の胴にしまい込むと、最期の戦いに出撃していきました。その心意気を前に、高時はじめ諸将はもちろん、敵味方を問わず感銘を受けたということです。
終わりにかくして元弘3年(1333年)5月22日、鎌倉幕府は滅亡。残された高時ら一族も東勝寺に自害して果てたのでした。
鎌倉幕府の執権17名のうち、最も長く務めたのは第2代・北条義時の18年11カ月。それに対して最短は今回の北条貞将、たった1日。