美学、意識、絶対などの言葉を日常語に。日本哲学用語の父・井上哲次郎の功績とその思想的変遷 (2/3ページ)

Japaaan

次に、井上は実は「文学」方面でも才能を開花させた人物です。哲学に比べると堅苦しさがないイメージの学問なので、ちょっと意外ですね。

彼はまず、1882年に英語の詩を日本語に訳した詩集『新体詩抄』を外山正一・矢田部良吉らと発表し、この詩集は日本の近代詩の先駆けとなりました。

また1880年には漢詩『孝女白菊詩』を作っています。漢詩と言っても日本のもので、これは、西南戦争のときに行方知れずになった父を慕う娘の悲嘆を表現した漢詩です。

この作品を落合直文が親しみやすい大和言葉に訳したことで大評判となり、英語やドイツ語に訳され、阿蘇山に記念碑も作られるまでになりました。

その思想遍歴

彼の思想の変遷も興味深いものがあります。1884年にヨーロッパへ3年間留学した井上は、帰国後東京帝国大学の教授となり「体制寄り」の活躍をしています。

日本は天皇制を中心にした国家であるべきであると考えた井上は、教育勅語奉読式で天皇親筆の署名に対して最敬礼しなかった事件(内村鑑三不敬事件)を通じキリスト教を激しく非難しました。

内村鑑三(Wikipediaより)

天皇制を中心に考えれば、近代日本の教育方針として定められた「教育勅語」に従わないキリスト教の思想は受け入れられないものだったわけです。

ただし、時代の変化とともに井上の教育勅語への対処に戸惑いや揺らぎが出てきます。

「美学、意識、絶対などの言葉を日常語に。日本哲学用語の父・井上哲次郎の功績とその思想的変遷」のページです。デイリーニュースオンラインは、井上哲次郎日本語哲学カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る