「鎌倉殿の13人」いよいよ源義経の最期まで突っ走るか?第20回放送「帰ってきた義経」予習 (5/6ページ)
義経たちは家人らと共に奮戦するも衆寡敵せず、持仏堂へ入って妻と娘を殺し、自刃して果てたのでした。
「「何と言う愚かなことを!」」
秀衡の遺言に叛いた泰衡に憤る忠衡と通衡は謀叛の兵を起こしますが、義経の共犯者として6月26日に討たれてしまいます。
文治五年六月大廿六日甲寅。奥州有兵革。泰衡誅弟泉三郎忠衡〔年廿三〕是同意与州之間。依有宣下旨也云々。
※『吾妻鏡』文治5年(1189年)6月26日条
「朝廷の御意に従って九郎御曹司を討ち、謀叛を共謀していた弟たちも討ち果たした。これで、鎌倉殿とも和解できよう……」
残された泰衡と国衡、そして高衡の読みが甘かったことは広く知られる通り。内乱によって大きく勢力を削いでしまった奥州藤原氏は、間もなく滅ぼされてしまうのでした。
終わりに稀代の天才軍略家として活躍しながら、権謀術数に翻弄されてしまった義経。